庵治石は、その類のない質の良さと希少価値、熟練された加工技術から、“世界一”と称される、最高級御影石です。
庵治石の最大の特徴は、石の表面に「斑(ふ)」と呼ばれる幻想的な二重のかすり紋様が現れ、奥行きのある優美さを感じさせる石目です。まさに自然がもたらす芸術品と言えるでしょう。
他にも、白鳥中央公園・大島青松園内施設のモニュメントなどに多数使われています。
庵治石の歴史は非常に古く、足利尊氏が征夷大将軍になった頃、1339年京都府八幡市の石清水八幡宮再建の頃までさかのぼります。
この八幡宮の再建にあたり、平安末期から南北朝、室町時代にかけて、庵治地区近郊が石清水八幡宮の荘園であったとされていることから、庵治地区の石材を使用したと古文書に記されています。庵治石と呼ばれるようになったのは、約400年の昔、秀吉が大阪城築城のため石垣の調達が讃岐に下り、石の積出港である庵治からの石材が出荷されたのがその始まりと推定されています。
その後、江戸時代に入ると各地での城づくりが盛んになり、高松城築城の石壁、桜門の礎石や大阪城改築にも多くの庵治石が供給されています。
明治・大正期の経済発展と好景気で、庵治石の需要は増加し一大石材供給産地として躍進を遂げます。現在のように「世界で最も高価な石材」と言われるようになったのは、昭和30年以降の機械化で採石や加工が容易になってからです。その結果、庵治石は世界でも稀な美しい石質と加工技術によって「天下の銘石」の名を不動のものに築き上げています。
六本木ヒルズ
佐藤継信墓所(1643年)